猫好きのためのペパクラ日記

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北海道旅行記前半 〜縄文への旅〜③

数年前、愛の兜で有名になった大河ドラマの題名は

天地人 であった。

三才思想ともいい古代中国から伝来したという。

 

(天の刻と地の利、そして人の和の三つが揃うことによって、良い働きがあると考える。)

 

上記の解釈が一般的だが、私はそれは、易経以降の解釈だと思う。

孔子が生存した時代は、約2500年前の春秋戦国時代である。

陰陽思想をベースに、いかに戦国の世で役に立つか(出世するか)が

孔子にとっては最も大事なことだった。

 

そのような時代背景を考えると、元々あった三才思想や陰陽思想は、役に立つ

方面でのみ強調されたのだと思う。

 

陰陽思想は、現代の高等数学にも通じるフラクタルで複雑な概念である。

これは、まあ中国のオリジナルとみてもいいでしょう。

 

ただ、三才思想そのものはアニミズムの時代から素朴な形で自然と発生したもの

だと思う。陰陽思想にはるかに先立つ人類共通の普遍的なものだったのではないか。

 

縄文時代から御柱祭りに受け継がれる

柱を大地に建てるという宗教的行為がある。

諏訪の当たりでは今も数多くの柱が立っている。

 

日本だけではない。トーテムポールは世界各地に見られるものだろう。

 

(高い塔を建てるという行為は、今もなをスカイツリーなどで健在である。

表向きは電波塔だが、精神的に人々を惹きつける求心力としての機能を今も

見事に果たしている)

 

そもそも人間は何故大地に高い柱を建てるのか?

私には素朴な原初型としての三才思想だと思える。

 

1万年くらい前だろうか

 

ここに人間がいる。

上には天があり

下には地がある。

その間に私たち人がいる。

 

この素朴な事実が出発点に違いない。

アニミズムは、ユング的な象徴性が活躍する世界。

ユングが元型と名付けたものが育まれた時代。

 

私の想像力と理解力は、未だに深いところに到達しえないでいる。

分からないことは沢山ある。

それで、旅に出ると特に、イメージを練ったり考えたりする。

 

今回の北海道の旅もそのようになっていった。

 

海から山へ

これは地から天へ ともいえる。

下から上をたどり それを繋ぐ旅。

 

それは、古代人が柱を建てた意味と同じこと。

人に与えられた使命であり宿命。

 

天は父性であり、一見厳しくて怖い

人をトラのように千尋の谷に突き落とす

トラがそうであるように、遠くから優しく見守る

本当に危ない時には助け舟を出す

でも、基本的に自力で這い上がってくるのをじっと待つ

 

地は母性であり、一見優しいが時には全てを飲み込んで

リセットしてしまう。それは、人には厳しい仕打ちに見えて

その後の豊穣が約束される。

 

(この中にすでに陰陽論が入っているから、三才思想と陰陽思想は

原初から不可分なのかもしれない。あるいは後付的な理解かもしれません。)

 

通常、雨や川は天から降って下へ流れる。

多くの現象では、エントロピーは増大する方向に向かう。

 

一方で太陽の熱(天の気)によって海の水、地の水は上昇して

雨の元になって循環する。

 

その大いなる循環は、自然の営みそのものである。

 

人は自然に和して生きればいい

それは、そうなのだが それだけでもないように思う。

 

地から天に向かう作用が、自然だけでは足りないのではないか。

柱を建てる意味があるのではないか。

下から上に人があえて運ばなければならないものがあるのではないか。

 

物理学的に言えば、エントロピーの増大に抵抗して減少させること。

心理学的には、魂を成長させること。

芸術や表現で言えば、神様が作れないものを作ること。

 

(自然そのものを創造することは出来ない。最初は自然の真似模倣

であったとしても、下手な表現であったとしても、むしろそこにこそ

人のやるべき仕事の意味があるのではないか。)

 

とにかく、人は山を登らなければならない。

時には下りながらも。

 

天と地を往復する

父性と母性の間を往復する

そしてその間を取り持つ

 

それが私の考えた天地人の三才思想です。

 

未だにその具体像は結べずにいますが、

今回の旅ではここまでで十分だと感じました。