猫好きのためのペパクラ日記

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Yahoo! BB for Mobile の解約の電話 & 赤坂憲雄さんの本に触発されて

昨日は、難しい話題なのに 温かい反応が多くてありがとうございます。。!

今日も続きですが

その前に 本日の出来事

 

私は電話が苦手で 電話恐怖症と言ってもいいくらいで 通常 留守番電話に

しています。。

その私が意を決して 11月10日の日曜日にイー・モバイルと抱合せに契約させられたYahoo! BB for Mobile の解約の電話をして 無事に完了致しました。。

 

解約に至るまでは、いろいろ調べてみないと たどり着けないような ややこしい仕組みになっていました。。あえてそれ以上は言いません。

 

ただ、「良くやった。。!」と自分をとりあえず褒めときます。。

 

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本日の彫刻


彫刻8.gifこれも、衝撃的!!

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赤坂憲雄さんの本に触発されて>

 

話は飛びますが、民俗学は黎明期 遠野物語で有名な柳田国男と まれびと説で有名な折口信夫という二人の巨人に支えられて発展しました。。

 

個人的には、柳田国男さんの論よりも 折口信夫さんの方が本能的に好きなのですね。。

 

もう折口信夫の学問的な跡継ぎはいないのだと 思っていたのですが、赤坂憲雄さんは、折口信夫よりの民俗学者のようで とても嬉しいです。。また、折口信夫をテーゼとして絶対化するような観念論者ではありません。自身の「異人論」をも批判的に切り捨てることの出来るニュートラルな人ですから。。

 

その意味でもう少し赤坂憲雄さんの著作を読んでみたいと思います。。

 

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ここからは、私なりの認識論的な解釈です。

 

基本的に人は世界を認識するために、世界を腑分けしています。普通は、言葉によって

名付けるという行為によって。最初は、恣意的に実生活に役立つように分けます。理論上はどこで区切っても世界は成り立ちます。色についての分類は実際に世界の各国でバラつきがありますね。

 

ただ、その区切り方のルールに思想があるのですね。

現代日本の殆どの人は、二元論二項対立)を自明の原理だと絶対的に思っているはずです。まあ、洗脳されているわけです。。

 

二元論絶対主義になりやすいですが、相対主義で物事を見ないと いつか価値観の変容に苦しむことになります。頭でっかちな二元論は観念主義になりやすく 事実をも歪曲し、しまいには不幸なウソをでっち上げます。その結果自他共に苦しむことになっていきます、、、)

 

 

「昼と夜」「善と悪」「男と女」「常識と非常識」など絶対的に割り切れるものだという前提ですね~

「白黒ハッキリさせる事が善で曖昧は悪」「敵か味方か態度をハッキリさせろ」「自分の意見をハッキリ述べよ」などと脅されます。

「役人や誰かの都合のいいように作ったルールをしっかり守るのが善で、皆が守らないから世の中が悪い もっと厳罰化して守らせよう」という風潮もますます強くなっています。

 

(江戸時代あたりは、川柳や風刺が洒落ていて庶民のなかに批判精神が生きていました。無名の人の川柳でも気の利いたのが沢山あるようです。大体 幕府のいうことを聞かないで洒落で通った事も多いらしい。幕府も目くじらを立てない鷹揚さがあったらしい。天下泰平の時代ですね~)

 

そもそもこの二元論にしても、実は避けがたい切れ目 境界の問題がすでに潜んでいます。普通の人は、無視してなるべく見ないように心がけています。デジタル的に認識しています。

養老孟司先生の唯脳論では、脳の機能だという解釈だと思います。。)

 

しかし、医学的な世界では、完全な健康や完全な病気という考え方は 不幸を招くだけだったりします。

そもそも人として生まれて来て完全な健康体などあり得ない というのが仏教的な解釈ですが。。

 

病気でなければ健康か? と問うても普通に仕事をしている社会人で毎日どこにも不調を感じない人はまずいないでしょう。主婦だってそうですね~。今時子どもだってそうですね~。

じゃあ皆が病気か?といえば理論的に名付ける意味が無くなってしまいます。。

 

この状態を東洋医学では未病といいます。そしてこの状態を直すのが得意だとも言われます。

 

何れにしても現代日本社会では、至る所に境界性 曖昧さ 割り切れない現象が噴出しています。

それは、中間的で両方の性質を兼ね備える両義的な現象であります。

 

黄昏時は、昔から恐れられていました。。人の顔の区別がつきにくく「誰ぞ彼ぞ」と問うたのが語源という説もありましたが。。

 

人間にしても、ハーフと呼ばれる人 ニューハーフと呼ばれる人 帰国子女なども両義的な存在として有名ですね~

 

そういう人々は社会から差別を受けやすいですね~。排除されやすいです。疎外感を持ちやすいです。

 

実は昔から 障害を持った人 異型の人はそういう扱いを受けやすいのでした。

他にも職業による差別もあって、しかも先祖代々受け継がれて行きました。部落問題につながります。

 

人は何故差別するか その問題の根底には、二元論の持つ思想的な欠陥が横たわっていると 私は思います。

養老孟司先生に言わせれば、脳の機能的な欠点ゆえに都市化したから という事になると思います。)

 

 

また中途半端ですが、今日はここまでにします。続きはまた明日