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猫好きのためのペパクラ日記

猫などのペパクラばかり作っています。接骨院もやっています。良かったら、接骨院のページも右下のリンク集からどうぞ。

「異人論序説」を読み終えて

昨日の縄文時代の世界観は、自分でも未熟で上手く表現できないな~と改めて

思いました。実際の処はまだまだよく分かっていません。。それでも、最初の

一歩を踏み出せば 次に展開していくかもしれません。そう願うばかりです。。

 

世界はスタティック(静止)ではない。。ダイナミックに変転していくことにこそ

その本質がある。それは、易の教えでもあるのですが、、 それを図で表現する

には、さらなる工夫が必要です。 4コマ漫画のような手法や 絵本 アニメ

のような手法が考えられます。 私も最終的にはGIFアニメのような手法で表現

出来ればと思っています。。

〜〜

ファウストで有名なゲーテは、文学者であると共に植物の形態学者でもありました。。

彼の関心は メタモルフォーゼ 形が成長(進化)とともに変化していく様

今や学問的に受け継ぐ学者もいないでしょうが、故人で東大の解剖学出身

最後は東京芸大の教授 三木成夫 という異才が見事に動物の形態学を引き継ぎました。。

 

学問の世界では、ダーウインの進化論が猛威を振るい 進化学の別の可能性を踏み

つぶしている感じがします。。学問の世界にあっても研究費の問題があったりして

純粋に知的な研究は難しくなっているようです。。その根源にはやはり二元論

観念論があるように思います。リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子説」は

ネオダーウィニズムの旗手として社会にインパクトを与えましたが、今では

分子生物学が発達して その立場からは冷ややかに見られています。。

 

多分観念論で自説を絶対化すると、いつの間にか論理が転倒する。ありもしない

ような架空の話を仕立てあげる。 屁理屈になってしまうのだと思います。

 

話がまた脱線しました。。ゲーテが見たような 三木成夫が書き残した図のような

生物のメタモルフォーゼの様子を 今ならアニメで表現出来るのでは?

それもまた 森羅万象の世界観の表現の一つになるだろう ということを

書き留めて置きたかったのでした。

 

~~~

本日の彫刻(クレマチスの丘より)

P1080978.jpg

これもまた、異形というか何かを感じさせる作品ですね〜
 

~~~

今日は、ようやく赤坂憲雄さんの「異人論序説」を読了しました。。

終章を読み初めて ドキッとする事が書いてありました。。

 

===引用しますと===

円ないし円環の起源は、人類史における定住農耕の起源に重なっている。定住農耕

のはじまりはまた、人類史における<強迫的なるもの>の起源でもある。

~~

円ないし円環とは強迫的なかたちである。、、、それはみごとに、世界を閉ざされた内部とその外部とに分断する。、、、円環という境界線によって囲われた内部、、、均質空間としての共同体、という表象。<異界>や<他界>といった外部は、、、生成してくる。

~~~

内部/外部という分割、したがっていっさいの二元論的な分割もまた、認識論的な

解釈装置にすぎない。にもかかわらず、この二元論という名の<強迫的なるもの>

は、、、、、わたしたちの意識を呪縛しはじめる。、、、転倒した論理、いわば

二元論の呪縛の産物にすぎない。

 

============

 

昨日私は 円の丸いイメージを 和する輪のイメージに重ねて調和の思想だと。

農耕によって四角のイメージが強調されて強迫的なるものが生まれたと

推測したわけですが、、、またまた、考えさせられました。。

 

ただし氏の考察も 「円の起源が定住農耕のはじまりにかさなるとすれば」という

仮定のもとですので、農耕以前の縄文時代のストーンサークルは、仮定そのものを

崩す事実として重大な意味を持つわけです。。

 

その後氏は、東北に根ざして実体験として縄文を身に染み込ませて行ったわけですからこの円と円環のイメージを今どう語るか? 興味深いですね~。。

 

円でも四角でも内外を隔てるという意味は同じなので、定住農耕と共に

<強迫的な>二元論が生まれたという説は、揺るがないですね~

でも、縄文を定住革命とするなら 何らかの 内外にまつわるルールはありそうです。

非常に中間的で曖昧な境界意識だと思います。

 

そこでは、素朴に異人や他者といった排除される人がいなかったと 信じたいです。

 

~~~

最後に面白いのは 精神科医の中井久夫先生のことが「異人論序説」にも

「婆のいざない 地域学へ」にも書いてある点です。。

 

私は若い頃に普通に悩みを抱えて息苦しさに 悶えていた頃、中井久夫先生の

「治療文化論」に出会い 救われた 思い出があります。

その後多くの著作を読みました。。今ではもう少し広い視野で見れますけども。。

彼は、当時からフロイト派で有名なこともあってか、「一部では絶大な人気の」と

紹介される精神科医の中でも腫れ物扱いされるような感じの人でした。。

 

ただ書籍から伝わる人柄は、十分に人の心を癒やす優しさに満ち溢れています。。

その優しさに救われた人も多いのではないかと 思います。

 

そのいわくつきの中井久夫先生を最後に持ってくるあたりは、興味深いです。。

「婆のいざない 地域学へ」には、中井久夫先生の

「年をとって、若い頃のように患者の診断をスパッスパッと出来なくなったけど、

何となく寄り添っているだけで若い頃よりも患者が良くなるようになった」

という内容の発言を引用されて、自身の切れすぎる異人論と今の東北学を重ねて

述懐されいる。。氏は、地域学を経て今後 縄文時代も含めた異人論の再構築を

目指しているという。。

 

私もいつか 東北へ という微かな予感を抱きながら氏の動向を見守りたいです。。

 

今日は音楽の三拍子など、他にもいろいろ三分割法がある という話を書きたかったのですが、

それはまた明日にします。。。