石膏像のペーパークラフト & 大塚先儒墓所付近の情景 &猫さまの理想郷へ7
ティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの紙で石膏像を作ってみました。。
まだまだ粗さが目立ちますが、次からはヤスリを購入して磨いてみようと思います。
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大塚先儒墓所
ネットから引用〜〜〜
東京都文京区大塚にある儒葬形式の墓所。周辺には真言宗豊山(ぶざん)派別格本山の護国寺や明治天皇の第一皇子の墓所である豊島岡墓地などがある。大塚先儒墓所は明治維新後、荒廃して「儒者棄て場」などと言われていたが、1901年(明治34)に東京帝国大学総長、浜尾新らの提唱によって墓所の保存会が組織され、1921年(大正10)に国の史跡に指定された。もともとこの場所は徳川秀忠と徳川頼房の儒学の師であった人見道生(ひとみどうせい)の邸宅で、1670年(寛文10)に道生が没した際、遺体を邸宅内に葬ったのが儒葬墓地の始まりだとされる。古賀精里(こがせいり)、尾藤二洲(びとうじしゅう)ら寛政の三博士(寛政の三助)をはじめ、木下順庵、室鳩巣(むろきゅうそう)らの墓がある。墓石は仏式よりもやや細長い「柱」状のものがあり、儒者ごとに墓域の区画割りがなされ、見学通路も設けられている。東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩約5分。
吹上稲荷神社
ネットから引用〜〜〜
元和8年(1622)、2代将軍徳川秀忠が日光山から稲荷の神体を賜り、江戸城内吹上御殿内に「東稲荷宮」と称したのが始まり。
5代綱吉のころ、江戸城内から一ツ橋に移遷し、その後、水戸徳川家の分家松平大学頭が拝領し、邸内に移した。(現在の教育の森公園)
宝暦元年(1751)に大塚の鎮守として松平家から拝受し、善仁寺(小石川4丁目)に移し、今日の社名に改名した。(小石川4丁目にある吹上坂の由来となる。)
その後、護国寺、薬師寺等に移遷し、明治45年に現在地に移った。
両方共ネットで調べて後でかなり凄い所だったと気が付きました…。
何だか物凄く異彩を放つ住居がありました。。
===本日の猫さま===
うるうるしたつぶらな瞳♪
明日から箱根に旅行です…。皆様も良い週末を。
それでは続きはまた来週。。)/