猫好きのためのペパクラ日記

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2月7日 日本橋街歩きの情景 と 外神田、谷中の猫さま

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日本橋浜町に金座通りがあり、調べてみると喫茶店ではなく和食小料理の「金座こねこ」があった。店内は子猫感は全く無く 店名の由来は何と大将のあだ名だそうだ。

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  女の子は元気である。

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  新大橋を横目に通り過ぎる。なかなか綺麗な橋だ。

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浜町のこの辺りは面白い置物の宝庫だった。

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 このワンちゃんの目はかなりリアル…。

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日本橋箱崎に来ると神輿が飾られていた。

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箱崎には猫さまが居ると思ったが、この日出会いはなかった。

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けれども吉田松陰像があった。

ネットから引用〜〜〜

  吉田松陰
 現在の水天宮ピットの場所が、旧東京市箱崎尋常小学校として使われていた昭和12年(1937)の末、当時6年生の児童であった岩井光子さんが病気で亡くなった。
 光子さんは成績優秀なうえ、特に吉田松陰の生き方に深く感銘を受けており、亡くなる前に自分の貯金で、学校内に吉田松陰の銅像を立ててくれるよう両親に遺言を残した。
 両親は生活が苦しい中でこの遺言を実現し、昭和13年(1938)3月22日に除幕式が盛大に催された。当時この話は教育美談として東京日日新聞に表彰され、時の文部大臣東京市の関係者など多数が参列した。吉田松陰像は竹山蘭山が製作するとともに、話に感銘を受けた当時の海軍大将高橋三吉が台座の「松陰先生」の文字を揮毫した。
 昭和19年(1944)4月、小学校は全児童が戦火を逃れるため疎開したのち廃校となったが、吉田松陰像は同じ場所で日本橋箱崎町の変遷を見守り続けてきた。

 

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===本日の猫さま===

外神田にて

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谷中にて

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お茶目な白黒猫さまがいた。。

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それでは続きはまた来週。。)/