猫好きのためのペパクラ日記

猫などのペパクラばかり作っています。接骨院もやっています。良かったら、接骨院のページも右下のリンク集からどうぞ。

北海道旅行記後半 〜旭山動物園〜

1)旭山動物園 へ

まずは、定番のペンギン、アザラシ、しろくまくん

 

スクリーンショット(2013-08-14 10.34.56).png
スクリーンショット(2013-08-14 10.36.12).png
スクリーンショット(2013-08-14 10.27.55).png
スクリーンショット(2013-08-14 10.49.59).png

 
オオカミさん 何気にこちらを睨んでいた
 


スクリーンショット(2013-08-14 10.42.32).png

 
チンパンジーは、とても他人事には見えない
 


スクリーンショット(2013-08-14 10.45.03).png
スクリーンショット(2013-08-14 10.46.00).png

 
子どもは自然に限りなく近い。
自然に動物と共鳴する。
同じ目線で普通に心が触れ合う。
今回私は、あまり動物と触れ合わなかった。
 
でも、いくらかはあったとも思う。 
狼に睨まれたのは、一種のふれあいかもしれない。 
別のチンパンジーは、食事しながらマイペースだったが
猿の惑星のワンシーンのような、気分になった。
黒豹ににらまれた。
トラにもじっと見られたような気がする。
 
しろくまは、(他の動物も)狭い所でウロウロ
同じ動作を繰り返す。どういう意味があるのだろう?
私には、ストレスで常同行動を繰り返すようにも見えた。
 
人間の勝手で可哀想にと思った瞬間、
自分も同じだと思ってしまった。
 
東京のコンクリートジャングル
狭いワンルームの部屋
などなど
 
ーーー
デカルトの檻という表現がある。
近代的自我の生みの親 現代的個人主義の基板がデカルトの思想。
100年ほど前、明治期のインテリはこの近代的自我と伝統的意識の間で悩んだという。
夏目漱石の一連の小説は、その表現だという。当時はほんの一握りの人の悩みであったことが
今やほとんどの現代人の悩みになってしまった。しかもより 深刻になって。
 
キリストを信望する欧米では、まだ伝統的精神がある。でも、現代の日本ではどうか。
伝統的思想は、切り捨てられ価値の無いものと思われてる。近代的合理主義だけに覆われては
救いがないのではないか。まさに、我々は目に見えない近代的合理主義の檻に閉じ込めれれて
右往左往している。
 
ちなみに、解剖学者の養老孟司先生は、唯脳論以来「脳化」と表現している。文明発祥以来
都市は脳化の産物であるという。確かに、脳が作った檻が肥大化した結果かもしれない。
ただ、近代以降の技術革新の質と量は、それ以前をはるかに凌ぐ。我々は窒息しそうな現代を
生きている。
 
その檻から自由になるのは想像力しかしない。(貧乏という手もありうるが、怖いですね~)
イメージの世界は心の世界。心の動作原理は、脳の動作原理とは違うようです。ついでながら
身体の動作原理も。それぞれが密接に絡み合いながら独立して働いているようです。
その中でも、人間の本体は魂というか心だ という説を私は支持したい。
ゆえに、イメージの世界に遊び心を開放していく事こそ重要だと思うわけです。
 
ーーー
 
暑くはなかったが、雨も降ってきたりしたので
表層を舐めるように見ただけで疲れてしまい
旭川ラーメンとコロッケを食べて(美味かった)
少し早めに切り上げました。
 
その代わり美瑛でじゃがいも、人参、玉ねぎを
買うことにしました。
 
2)美瑛 へ

美瑛彩果 は最近オープンしたJAのオシャレな

直売店。地元でも人気な感じでした。

 

せるぶの丘 
これは、少しは美瑛らしい雰囲気を味わうために
寄ったところ。
今回の旅で唯一奇跡的に晴れ間が覗いた瞬間です。
 
 


スクリーンショット(2013-08-14 10.51.36).png


スクリーンショット(2013-08-14 10.52.33).png