猫好きのためのペパクラ日記

猫などのペパクラばかり作っています。接骨院もやっています。良かったら、接骨院のページも右下のリンク集からどうぞ。

認識論の果てに 希望へ

本日の彫刻(クレマチスの丘より)
 

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これは、本当に小さい彫刻でしたが今日の本文とも響きあう気がします。
 
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昨日まで二元論の呪縛からいかに脱出するかを三元論に求めてみました。

しかしながら認識論的に分割にとらわれる時点で、すでにある種の呪縛であるという

ご指摘を受けまして、、、

 

「なるほど~」と思うと同時に、いろいろな断片的な知識が

ムクムクと湧き上がり勝手にイメージを広げてくれました。

 

もったいないので、まとまらないまま 記事にしてみたいと思います。

ようやく単なる知識が、知恵になっていく予感がしています。

(まだまだですが、、)

 

1)無知の知 

ソクラテスが言ったという 有名な言葉がまず思い浮かびました。

「何も知らないということを 知っている」というよりも

「認識論的に世界を分割しても知った事にはなりませんよ 本当の世界は知り得ない ということを知っている」といった方がより的確な解釈なのかな と思いました。

 

2)知恵の実の原罪

キリスト教では、アダムとイブがエデンの園で知恵の実を食べたがためにエデンの園を追い出されて 原罪を負ったという。

なるほど、知恵の美とは世界を分ける認識装置としての二元論のことかもしれない。。

一度分けることで「分かった!」と認識すれば、それは本当の意味で「分かった」(了解)した事にはなりえないという理論的な矛盾というか皮肉な結末。。

 

3)荘子の応帝王篇 「混沌王の死」という話

混沌に無理に目鼻を付けてしまったら、混沌は死んでしまった。。。

寺田寅彦は、この話を事あるごとに弟子にして混沌を殺すなと 戒めたという。。

彼は夏目漱石の小説にも出てくると言われる彼の友人で、物理学者にして文筆家です。

弟子には、雪の研究で有名な中谷宇吉郎がいました。この逸話はその中谷宇吉郎の本に

書いてあったように思います。今の科学者とはイメージが違いまして

粋であります。

 

4)禅問答そして十牛図

禅の世界にも悟りへ至る様々な方法が工夫されて残っています。。

禅問答も有名でいろいろな公案があるようです。どれも常識を打破しなければ先に進めない

ようになっているようです。。

十牛図はカオスの世界に行って再び戻ってきます。

 

5)老医師の実力

昨日は中井久夫先生の話でしたが、100歳を超えて元気な日野原重明先生も側にいるだけで癒されるという。彼は「若いものは(医師)年寄りのいうことを聞かなくて困る。

学会で講演しても誰も真剣に聞かない。本当の医学が判るのは学会を辞めた後の老医師だというのに。逆に言えば医学をわかりもしない若い人が学会で物事を決めるからますます医療がおかしくなっていく」そのような事を言っておられました。。

 

年をとると若い人のような切れ味はなくなり、モヤモヤした感じになりますが

その方が、かえって医療という現場では成績がよくなるという。

(ただし残念ながらそれは、学会では無視されてしまいます)

結局医療は、人と人との関係であって 理屈や薬は副次的なもの そう思います。

 

6)「私は机そのものを見た。君たちが見ているのは机じゃないんだ。」

そう言ってしばらく後に精神病を発症したという話が ある精神科医の本にありました。。

この話は物凄く象徴的で、度々私の脳裏に蘇っては 机そのもの を考えさせます。。

彼の見た 机そのもの は結局彼にしか見えないのだろうけれど ある本質をついている

ように思います。解釈はいろいろありえるからカオスなのでしょう。。

 

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所詮人間の作るものは、「似て非なるもの」「砂上の楼閣」なのかもしれません。。

それでも、壊しては作り 壊れては作り を続けるのが人間のサガというもの。。

 

最後にそれを いかに肯定するか? いくつか考えてみました。。

 

やはり根源的にカオスはモヤモヤしたものとしてしか把握出来ない。

それを、謙虚に受け止め 承知の上で

 

認識論的な道具を使えば、似て非なるものとしてのモデルは出来る。

それを、絶対化しないこと。相対的なものという戒めは大事ですね~

 

その上で

1)人間の弱さゆえに、その弱さを愛する。

 

2)認識論は、あくまでも道具なので 道具には振り回されないで使いこなす。

コンピュータでいえば、近未来的にコンピュータに支配されるイメージがありますが、

そうではなくて、人間があくまでもコンピュータを使いこなすという

立場です。。

この立場なら、二元論でも三元論でも自由自在ですね~

 

3)神が世界を作ったとすれば、神はあえて下手でも「似て非なるもの」を人間に

作れと そのために知恵を授けたのだと。。

 

「あんたら 下手でもなんか 作ってみなはれ。

 わてらが楽しませてもらいますさかいに

 せいぜい おきばりやあ。。」

 

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私は以前ふと 3)のアイデアが湧いてきたのです。それ以来結構 好きな解釈で

自分が下手でも 絵を描いたり ペパクラを作ったり 医学的なモデルを考える

根拠にもなっています。。(ただし神は比喩的な意味合いです)

 

最近では、このブログで皆様に見て頂き、さらに励みになっています。。

この一週間は、かなり難しい話になってしまいました。。

 

来週はもう少し柔らかい方向でいきたいな~と思っています。。

 

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今日はブルースのチャンネルを聞いています。。

カオスとブルース どこか響きあうようにも 思います。

 

遠くアフリカの響きにつながっているから?