北海道旅行記前半 〜縄文への旅〜①
今回の北海道の旅の前半は
期せずして縄文巡礼の旅となった。
私は縄文時代が好きです。
岡本太郎が、縄文土器をリスペクトしてやまなかった という要素もある。
また、民俗学者の折口信夫が「マレビト」と表現した要素の方が強い。
梅原猛が、イメージした国譲り神話にまつわる縄文人と弥生人の話も好きだ。
(今ではそう単純な話ではないと分かっているが、東北に行くと人柄の素朴さ
人懐っこさに、どうしても梅原のイメージを重ねてしまう) 敬称略
旧石器時代のイメージはわかないが、縄文時代の人々の暮らしのイメージ
は割りとリアリティを持って思い浮かぶ。不思議なことです。
自分は縄文人の生まれ変わりかと思うこともある。折口信夫によれば
たまに先祖返りしたような人が出てくるという。自分がそうだとは
言い切れないが、単なる憧れ以上の親近感はある。
<虎杖浜温泉 海の別邸 心の宿ふるかわ へ>
地の気が強い場所(パワースポット)だと感じた。
私は、旅に出ると、食事中すぐに酔って早めに寝てしまう。
それで真夜中の2時頃に目が覚めたりする。
それで眠れないと一人で風呂に入りに行く。
(最近は24時間入れる所も多い)
丑三つ時に温泉に入る人は まず誰もいない。
今まで出会ったことはない。会ったら怖くて逃げるでしょう。
毎回必ずではない。そんな数々の真夜中の温泉体験では
不思議な現象に出会ったりもしたものです。怖い類ではない。
天人相関というか イメージの世界というか、ファンタジー
というか そのような事である。
そこで、東洋思想的にいろいろ考えるわけで、気が付くことも
多いわけです 。
今回は、ピッタリ2時に目が覚めてしまったらグッタリして、
動く気にならず温泉には行かず、ずーっと眠れずにいたのでした。
主観的には、風水的な地の気が相当強いのだという感じがしました。
パワースポットというが、パワーが強ければいいというものではない。
その時点での、その人との相性というものがある。
温泉と同じ。私は昔は強酸性のにごり湯が好きだったが、最近は
ほぼ中性の無色透明の単純泉で当たりが優しい方がいい。
(あくまでも主観的な解釈です。)
いろいろ思う所もあって、海は厳しいな。激しいな。優しくないな。
と感じたのでした。海は母性の象徴です。母性は一見優しい。けれど
一度荒れると、全てを飲み込んでしまう激しさがある。大地もまた同じ。
地母神という思想がある。それは、洪水のように全てを飲み込んで流し
自らも死んで再生する豊穣の女神様。
そこまで考えると、大いなる優しさゆえの、厳しさ激しさだと分かる。
しかし、私のような並の人間はそう感じられない。
ただただ、表面上は優しくても、本当は冷たいんだ と
恨みがましく思ってしまうのでした。
そうこうしているうちに、いつの間にか寝てしまった
夢のなかで、もやにかかった幻想的な朝日を見た。
夢を見ている時は、それを現実だと思っている。
この宿では、朝日を見るためのモーニングコールサービス
があり、晴れたらという条件付きで頼んでいたのだ。
てっきりそういうことだと思っていたら、朝目覚めると
大雨が降っていた。土砂降りである。札幌ー函館間の列車が止まった。
雨は人の心を重くする。
私も、暗い気持ちを引きずって旅を続けたのでした。
その後、徐々に雨もおさまり 気分も回復していくのでした。