5月5日 松江観光と鳥取県三朝温泉の猫さま ほか
5月5日 松江の小泉八雲旧居にて 物凄く居心地の良い家屋だった。
小泉八雲の世界に出てきそうだなと感じた。
ここは新婚時代に住んだそうで、東大教授になる前だという。
私は東大教授退任後松江に来たのだとばかり思っていた。少年時代は神学校に通い色々あって多神教の日本に憧れ記者の仕事を転々としながら日本に念願かなって来ることが出来たという。この家屋の居心地の良さは彼の溢れる日本愛が詰まっている故だろう。
それを維持している松江市民の皆さんの八雲への愛情も感じた。
松江城に向かう
少し小さいけれど国宝である。
この木を組み合わせた柱が珍しいのだとか。
松江城の周りのお堀を巡る 堀川めぐり
宝石のように美しいという カワセミ がいると船頭さんに教わった
早速猫さまを探して歩く
温泉街を外れて直ぐの場所に3匹の猫さまがいた。。
この猫さまはこの旅行で初めて寄ってきて撫でさせてくれた。。
続いて この猫さまも寄ってきて撫でさせてくれた。。
いい顔をしてくれた。。
この黒猫さま 人見知りだったようで翌朝寄ってきて撫でさせてくれた。。
ここはこの旅一番のスポットだった。
三朝温泉の旅館 大橋 の夕食から
素材 調理 見た目の他に斬新なアイデアでも楽しませて頂いた。
歴史的な建造物でこの太鼓橋も有名らしい。 それではまた 。。)/
5月4日出雲大社から5月5日足立美術館 と玉造温泉の猫さま
5月4日出雲大社本殿にやって来た。
古代日本一高かったという神殿からすると想像以上に小さかった。けれど趣きはある。
奉納神代神楽をやっていた。
湯の川温泉 松園へ
この宿は古代をテーマにしている。
料理も器も古代料理をイメージしたもの。身体に一番良かったように感じた。
古代風の離れに宿泊も出来るようだ。
竪穴住居も復元されていて 中に入ってみたら 使用した跡があった。
荒神谷遺跡に来た。ガイドさんに色々教えて頂いた。画面中央の左右にレプリカが埋めてある。興味深いのはこの地で生産されたものと東西の離れた場所で生産されたものが、ここで大量に発見されたこと。それによって考古学の常識が一変したという。
恐らく東西南北及び縄文弥生などの様々な要素が混交した正に神話に相応しいクニだったのだなと感じた。出雲は今も文化的に縄文的な力強さを感じる面白いところだ。
足立美術館にて 借景となる山も買ったそうな。
額縁庭園
玉造温泉で猫さま歩き
旅館を出て直ぐに この猫さまに出会った。。
目が綺麗。
いろんな表情をしていてくれた。。
しつこすぎたせいか 逃げられてしまった…
普通の民家に 飼猫さまがいた。。
別の場所にて
道に迷い裏路地の抜け道を見つけてホッとした時 白猫さまに出会った。。
それではまた 。。)/
5月4日 出雲市駅と出雲大社周辺の猫さま とその旅行情景
出雲市駅周辺で早速猫さま歩き
やっとの思いで1匹の猫さまを見つけた。。
塩冶高貞は元弘の乱で隠岐の島に流された後醍醐天皇が脱出した際、味方した出雲国守護。その後室町幕府の執事高師直により悲劇の自害をしたという。江戸時代の仮名手本忠臣蔵において播州赤穂藩主・浅野長矩は「塩谷判官」、吉良義央は「高師直」として登城する。知らなかったけれど、その人を祀った高貞社跡があった。
電車に乗って出雲大社に向かう
稲佐の浜に向かう途中に 黒猫さまに出会った。。
ご利益がありそうな気がした。
ワンちゃんは多かった。
国譲りなどの神話の舞台で 今も旧暦10月に全国の神々がここに集まるという。
何故か白鳥が浜にいた。。
出雲の阿国のお墓があった。
出雲大社教独自の「幽冥(ゆうめい)信仰」の祖霊社
それではまた 。。)/
4月23日 神楽坂から日本橋まで猫さま歩き とその情景
新宿区を神楽坂を目指して歩く
地名は赤城下町だが 神楽坂エリアで初めて外猫さまに出会った。。
神楽坂にも猫さまは多いと聞くが、飼猫さまが殆どのようで 散歩中にたまたま出会うしかないようだ。
小石川にて
タイガーマスクのような三毛猫さまが座っていた。
同じ小石川で黒猫さまを見かけ
追いかけて行くと
もう二匹 猫さまがいた。。
本郷通りを歩き東大赤門前を過ぎて直ぐのお店の前を過ぎようとしたら、
「にゃあにゃあ」と微かに呼ばれたような気がして 振り返ると看板猫さまがいた。
「無視して行くなよ」と言われたような。よく通る道だけに、ここに居たのは驚いた
神田駅側に 昔ながらの立ち食いそば屋さんがあった。
それではまた 。。)/