世田谷区立岡本民家園の情景
ネットから引用===
貧乏徳利という言葉は江戸の町で使われていましたが、なぜ貧乏と言っていたのかはわからないそうです。貧乏徳利は別名を貸し徳利、又は通い徳利ともいいます。江戸後期から昭和初期に流通していたと考えられ、酒屋の小売用として庶民に使用されていました。 酒屋は徳利を貸し出して、それに客のほしい量の酒を詰めて販売していたのです。店からの貸し出し用ですから客は次に買いに行くときにもその店に行きますので、酒屋としても売上向上を見込めたわけです。また徳利には酒屋の屋号や銘柄、昭和期に入ると電話番号なども書かれています。お客がそれを持って買い物にでかければ、道中立派なお店の宣伝になりました。 北部九州では、有田や波佐見といった磁器生産地があるせいか、白磁に染付のものが多く使用されていたようです。
かぐや姫が…
鶏を飼っている
粘ってようやくカメラ目線頂きました。。
菊まつりもやっていました
お見事!
畑もあって鶏もいて農家の生活ですね。この辺がとてもいい感じです。。
将来は人が住んで昔の農具も使用して生活を丸ごと復元して欲しいなあ。
ついでに縄文時代とか各時代の暮らしも…
次は、民家園の隣の岡本八幡神社にお詣りしてきました。
その様子はまた明日 。。)/